コンチハオレ、タココゲッポウ、カク前回の月報先月の月報を書いた後、今後どんなことを月報に記するのか、真面目に考え直しました。先月は、7人くらいのたここが出てきて、それぞれが思想を語ったり暴れたり好き放題やっていたみたいですね。あれはあれで、かなり精度よく心境を綴れるので、(読みやすさを気にしなければ)毎回あんな感じに書いても特に問題ないとは思います。物語調にすることで、エピソード記憶として記録できる利点もあると思います。ただ、辞めることにしました。当たり前すぎて忘れていたのですが、たここってかなり能力主義的な側面が強いみたいです。色々なことをこなせて、色々なことに詳しいことが価値だと思っているみたく、そんな状態を目指して頑張ることに生きる意味を見いだしているみたいです。そんなたここは先月、「多角的に物事を捉えられる」ことに自己成長の機会を見いだしました。その結果が前回の月報なんだと思います。「本当にたここは複数の人格を内に秘めているのか?」この点が怪しくなったので辞めることにしました。月報を書くために、たここの一部分を増幅させている側面もあって、フィクションに寄り始めているとも思います。(そもそも、メッセージ性のある物語を書くという行為自体、こういった一思想を増幅する側面を孕んでいると思われます)ただ、前回の月報の主題であった、時に、心は2つ以上存在する。文章は2つ以上の心を同時に書き記せない。これは本当に思っていることです。何かを主張する時、だいたいは頭の中を反論が流れていますし、矛盾する2つ以上の解釈を矛盾したままにしておく事もあれば、同じ事柄について意見が変わることもあります。そんな、もつれた考えを他人に伝える上で、文章は弱いなと感じます。取捨選択と捨象の連続で、本当に大事なことは何も書き記せていないんじゃないかと不安になります。(ここまで書いて、上記の不安は文章に限らず、あらゆる媒体に言えることなのではないのかという反論が頭の中を流れ始めました)とにかく、今後の月報は適当な1人格を選択して良い感じに書きます。変わりある変わりないたここを、今後ともよろしくお願いします。漫画を読んだ漫画を読みました。つくみずさんの『少女終末旅行』と『シメジシミュレーション』です。とても良かったです。経緯としては、先々月にsteamでリリースした『水彩画は水底に沈む』のレビューに、「『少女終末旅行』が好きな方にオススメのゲーム」な事が書いてあったためです。就活のスキマ時間に読みました。少女終末旅行は特に最終話が好きです。どこまでもどうしようもない世界を前にした2人のやり取りが心にザラザラとした傷跡を残しました。涙が出るような描写ではないのですが、「......!」って、体の内側がギューっと収縮して体が破裂してしまいそうな心苦しさを覚えました。はい。絶対に何も伝わってないと思うので、皆さん『少女終末旅行』読んでください。なんとなんと一般公開されています。主な登場人物は少女2人なので、百合作品ではあると思われますが、それはあくまで作品の掴みであって、主題ではない気がします。性的描写が強調されることもありませんでした。次。「シメジシミュレーション」も読みました。これ〜、めっっっっちゃ良〜。脱力日常ギャグ展開とぶっ飛んだSF世界のどちらも好きです。物語の中盤から、世界がシミュレーション&思考実験し始めて、そんな中でも日常を続ける登場人物の様子が描かれます。文字に起こしたら意味が分からなくなる概念や現象を扱っていますが、作者のとんでも表現力によって理解の易しい漫画になっていると思います。本当に尊敬します。あと、これは百合作品だと思われます。そういう趣向を持つ方はニコニコできます。キャラクターも物語の展開も、文章から滲み出る作者の思想も全部好きです。もう何も言い残すことはありません。感無量です。皆さん読んでください。以上が漫画のお話でした。たここの好きな創作物の傾向は大事な何かが失われていく作者の言いたいことが分かるあたりだと思われます。OMORIとか、SANABI、電キ鯨さん、おいし水さん...ただ、こういう作品って、胸を締め付けるような読後感が1ヶ月くらい尾を引くので、就活中みたいな負荷のかかる時期に触れるべきじゃないと思います。苦しい...。企業さんにお出かけとあるデカゲーム作り企業さんの開催する、社内ツアーとゲームのフィードバック会に参加してきました。サークルの方々も参加して、最終的には10名で本社に突撃することになりました。それぞれのサークル員が作ったゲームを持ち込んで、みんなで社員さんの反応を見聞きしようの試みです。こういう重要なイベントに参加するとき、道中で何が起こるか分からないので、たここはn分前行動をよくします。今回のイベントは、「将来はココでゲームを作ることになるかもしれない」という緊張から、n=60となりました。かなりハイスコアだと思ったのですが、サークルの方々は既に到着していました。格が違いますね。集まった後、社内に乗り込みました。イベントの詳細を話しすぎると秘密保持契約に触れそうで怖いのですが、とにかく、参加してよかったなと強く思うことになりました。まず、社内や働く社員さんの様子を間近で観察できて良かったです。働くイメージがかなり具体的になりました。思っていたよりも静かで、真剣にデスクワークしているのだな〜と感じました。あと、本当に全員が私服でビックリしました。なんと私服OKの企業は実在し、都市伝説ではなかったのです(?)社内ツアーの後は、持ち寄ったゲーム『水彩画は水底に沈む』について、社員さんに実際に遊んでもらっては、フィードバックをいただきました。デカゲーム制作に携わっているプロ集団の方々なので、厳しい意見をもらうものだと思っていたのですが、「丁寧に作り込まれている」「イラストが素晴らしい」など、予想に反して前向きな反応をいただきました。ただ、ミニゲームについては、UIに違和感がある、直感的ではないなどの意見を貰ったので、今後のゲーム開発の課題にしたいです。後は、たここ自身についてもフィードバックをもらいました。頻繁にゲーム開発を継続できているのはすごい失敗を次に活かしていて良いちゃんとターゲットを意識できている都合の良いことだけ覚えているワケではないと思いたいのですが、終始褒められてばかりで少し嬉しくなりました。「自分ってスゴイのかもしれない...」という万能感に一瞬だけ包まれました。その後は、質疑応答を行って解散しました。お疲れ様です。帰路は1人でした。イベントの賑やかさとは対照的な帰り道の静けさに温度差を感じていました。なので、どうしてあんなに高評価をもらえたのか考えることにしました。まず、以前に本で読んだ、「課題は理想と現状の差異から生まれる」という話を思い出しました。課題=理想−現状です。この視点から考えます。社員さんは学生に課題を伝えるために、フィードバックしていると仮定すると、好意的なフィードバックとは特に課題がない状態を指すことになります。課題がない状態とは、現状=理想であり、現時点で理想のゲームを形にできていると捉えられます。しかし、ここで「学生と社員さんの間で同じ理想を共有できていたのか?」という疑問が生まれます。実際に遊んでいただいたので、現状については把握してもらっていると思います。しかし、理想の部分についてはその限りではない可能性があります。おそらく社員さんは、理想が共有されない場でフィードバックを行うため、ぼんやりとした学生像から学生の持つ理想を推定してもらっていたのだと思います。理想を見誤った著作物へのフィードバックは不和を生みそうです。もし、たここが「御社で企画、出版できるようなゲームを目指して作りました」などと、社員さんの視座に合わせた理想を話していれば、フィードバックの内容も変わっていたのだと思います。まとめると、好意的なフィードバックを多くもらえた要因は、理想状態が2者間で共有されていない状態で社員さんが学生の視座に合わせていた可能性があるから、となります。受け身でフィードバックを待つのではなく、積極的に理想を話すことで、社員さん視点からのフィードバックを得られると学びました。...と思いつつ、聞きたいことのためにゲーム開発の理想を言い換えるというのは、なんだか不思議に聞こえます。実はたここの心の奥底では、フィードバックの正確さや褒められる以上に厳しい意見を求めているのかもしれません。いやいや、「好意的なフィードバックをもらえたのは、実際にゲームが申し分なかったから」と、素直に受け取って良いんじゃないか?う〜んはい!おしまい!また前回の月報みたいに心が分裂しそうです。これくらいにしておきます。しかし、最近思うこととしては、肝要なのは解釈じゃなくて事実なんじゃないのかなという点です。あの場であの社員さんにあのゲームを遊んでもらったらあのフィードバックをもらえた...という事実そのものを、たここはもっと大事にするべきなんじゃないかなと思います。これを料理で例えるなら、事実が具材、解釈が料理、目的が顧客で、たここは一次産業の従事者として...意義の分かりにくい話になりそうなのでやめておきます。現実でこういう話をすると話を逸らされることが多いです。たぶん、本当は何もないところに、たここが勝手に意義を見いだしているだけなんだと思います。 面接就活の話をします。6月は就職活動に奔走していた月なので、一番書くことが多いと思われます。数社の面接を受けてきました。たここは面接の経験がなかったので、それはそれは緊張していました。面接予定日の1週間前から、頭の中が面接のことでいっぱいになっていて、メンタルよわよわ状態でした。1日10時間くらい寝ている日もありました。たここの習性なのか分かりませんが、重要なイベントを前にした時、脳内でその予測を何回もトレースしがちです。面接で例えると、「髪型と服装を整えて、大学の個室を借りて、zoomのマイク設定とカメラ設定を確認して...」といった具合です。これくらいの前準備部分ならまだ良いのですが、空想の面接官が現れては頭の中で面接を始めるのでキリないです。「本日の面接官を担当します、〇〇の人事を担当しています〇〇と申します。本日はよろしくお願いします」(私は深々と頭を下げる)「はい。よろしくお願いします」「よろしくお願いします。アイスブレイクも兼ねて自己紹介して頂きたいのですがよろしいでしょうか?」「はい。大丈夫です。私は〇〇大学〇〇学部〇〇学科に所属している...」こういうトレースって、緊張を和らげる意味で無意識に行われていると思うのですが、それにしても四六時中...なんなら寝ている間も面接官と話しているので、けっこう疲れます。本番に支障が出るレベルです。実際、本番では全く予想外の質問がすっ飛んで来た事もあったので、意味があるようでないように思えます。ただ、AIに質問を生成させまくって、マイクに向かって話し続ける...という練習は効果があったように思います。4時間くらいAIと面接していましたが、本番でも舌が回りやすかった印象です。また、よく聞かれる質問についてあらかじめ返答の内容を用意しておくというのも効果的でした。などとあれこれ考えるものの、まだ面接の合否が分かっていないので、トレースの習慣やAI面接が良かったのか悪かったのか何とも言えません。ゲームは明確に報酬が設定されている場合が多いですが、面接対策の場合は何が就活を前進させているのか分かりにくくて困ります。PDCAが回しにくいです。現実を生きよう最近、「現実を生きないとなぁ」と思って生きています。実はたここって現実を生きていないみたいです。いや、現実ってなんだよという話なので、適当なものについて現実かそうでないかを判定します自力で考えて行動する→現実じゃない周囲に影響されて新しいゲームを始める→現実前から気になっていたシングルプレイヤーのゲームで遊ぶ→現実じゃない誕生日の友達を誘って遊ぶ→現実インターネットや本で情報収集する→現実じゃないOB/OG訪問する→現実コンテストの受賞を目指して努力する→現実じゃない憧れの先輩目指して努力する→現実こんなところだと思います。現実に生きるとは、「ドラマチックに生きる」とか「社会の中で生きる」といったニュアンスに近いと思います。現実を生きる必要性を感じた理由ですが、これは就活が理由です。就活では、面接官にパーソナリティや行動原理を理解してもらうため、様々なエピソードを用意する必要があります。ここで、たここは現実を生きていないために、面接官の理解に繋がるようなエピソードの提供が難しくなっていると感じたのです。まず、たここは「頭で理解した」という点が、モチベーションや価値観の変化に繋がる大きな要因の1つだと感じています。例えば、以前に「人間の能力は個人に宿るものではなく、環境の中で発現するものである」という話を本で読んで、人間関係について考えがガラッと変わったりしました。思い返してみれば、自身の成長を感じる瞬間って、必ず他者が絡んでいますからね。それからは、実際にオフイベントへ積極的に参加したり、頻繁に人と話しかけたりするなど、他者と関わることについて大きなモチベーションが生まれています。といった具合で、たここの場合、頭で理解すると行動や思想が変わることが多いと感じます。ただ、多くの人と話したり、就活を進めていたりして気づいたのですが、こうした遷移の過程はあまり一般的ではなく、他人に話しても納得、理解されることが少ないように思います。(たここの説明力や表現力が欠如している可能性は大いにあります)例えば、ゲーム開発を始めたエピソードを話してみます。「私がゲーム開発を始めた理由は、イラストや音楽、プログラミングなど、極めるべき事が多い創作活動であるゲーム開発はやりがいがあると考えたためです。また、ゲーム開発は金銭的な初期費用を少なく抑えられ、気軽に取り組めたことも理由の1つです。」このエピソードは面接の練習で話したのですが、あまり反応がよくなかったように思います。人の行動や思想を変える大きな要因は、環境が変わったり、感動を伴う体験を経験することだと聞きました。例えば、「親の姿を見て営業職に憧れた」とか、「クラスメイトにいじめられて人間不信になった」とかです。これが、先ほど話したような「社会の中で生きる」とか「ドラマチックに生きる」の部分にあたるのだと思います。もちろん、たここも社会性を兼ね備えた人間なので、上記の理由で行動や思想が変わっている部分もあるはずです。しかし、過去を思い返してみてもあまり心当たりがないのです。憧れの人物が居たとか、所属していたコミュニティに影響されたとか、人生を変えるような創作物に出会ったとか。また、日本に生まれて日本で育ったので、日本人的な性質を持っているのではないかと考え、日本人の特徴を調べてみました。結果、日本人は「周囲への配慮や調和を大切にする傾向」があるとのことでしたが、この傾向からもどちらかと言えば外れているように思えます。ここまで書いて、ある可能性に気づきました。「環境が変わったり、感動を伴う体験を経験して価値観が変わった」ことを、たここが自覚できていない可能性です。本当はめちゃくちゃ外部環境に影響されていますが、本人が「いや、これは考えに考えた結果、自分で変わっていった」と思い込んでいるだけかもしれません。う〜んなんか、この説が有力かもしれません。以前に参加したオフイベントで、他の参加者6人から「お前は真面目な人だ」と口を揃えて言われた時、それはたここにとって大きな意味を持つように感じましたし、先ほど話した能力の話にも関連しますが、自己は他者との差分から定義できる部分が大きいのかもしれません。なにより、面接官は企業の構成員として採用できるかを判断しているので、「たここの思うたここ」より「他人の思うたここ」の方が重要であるように思われます。やはり、そういった観点からも、たここは現実を生きる必要があるみたいです。なんてこったい...なんだか、考えることの価値が暴落してしまったように思えてテンション下がります。人間どこまでも環境で説明できてしまって、個人の努力なんて殆ど意味を成さないのかもしれません。1つ思ったことは、月報ではたここの思うたここを書き続けているので、まったくもって非現実だという点です。もっと現実を書き記せば、少しは現実的な月報になるかもしれないです。 自己分析(上の記事を書いて3日後...)「どうしてゲーム開発を始めたのか?」と聞かれる機会が多かったため、改めて理由を考えていました。そこで思いがけず、たここの行動原理を全て説明できる一文を導きました。「これは大発見だ!!!」と、夜中の帰り道で勝手にテンション上がっていました。この感動を今から皆さんに共有しようと思います。たここの行動原理、それは「考えた結果、何かが変わること」です。抽象的なので細かく説明していきます。「何かが変わること」とありますが、変える対象はなんでもOKです。例えば、人の価値観や感情、収益、自分を知る人の数、自分の価値観、ゲームや課題の進捗などです。また、何がどう変わるのかについても、なんでもOKです。何も考えないで変わった結果と、考えて変わった結果の2つが大きく離れていればいるほど良いです。カードゲームで例えると、考えたデッキ構築によって、勝率が大きく影響するとモチベーションに繋がります。どうでしょうか?!理解できましたでしょうか説明を続けますが、たここのこれまでの行いを全部「考えた結果、何かを変えたかったから」で説明できる点が、この説の説得力に拍車をかけています。例えば、ゲーム開発を行っている理由も「考えた結果、何かを変えたかったから」で説明できます。順を追って説明します。まず、頭の外の何かを変えるためには、頭の中を頭の外に反映させる必要があります。考えているだけでは何も変わりませんからね。そして、たここは特にゲームのことを、頭の中をありったけ詰め込める上、頭の外を変えるのに便利な媒体だと考えていたみたいです。そのために、ゲーム開発のモチベーションを保てていたワケですね〜。ちなみに、頭の中を頭の外に反映させる手段はなんでも良いらしく、例えば、会話やジェスチャー、文章に音楽、デザイン、イラスト、サービス、プロダクトなどなどです。思い返してみれば、色々な表現手法に手を出しています。そういえば、勉強や調査を入念に行うのも、「もっと大きな何かを変えるための、考える力を身に着けたいから」だと説明できますね。うおー!!!皆さん、これが究極の自己分析ですよ。疑う余地ナシです!さらにさらに、グループでのゲーム開発以上に、個人でのゲーム開発を多く行っているのも、他人を動かす以上に個人を動かしたほうが、多くを考えることになるからですね。他人を動かす際、比較的考えなくても何かを変えられると思っているみたいです。また、力を必要とする仕事以上に頭脳労働を必要とする仕事に魅力を感じることが多いのも、上記の理由によって説明できます。「心が2つある」とか「文章は2つ以上の心を同時に書き記せない」とか、様々なことに対して明確な結論を出したがらないのも、結論を出す行為が思考停止の側面を持っているためだと考えます。この、「明確な結論」と同じような概念...例えば、「人生の一部」とか、「かけがえのないもの」とか、「憧れの人物」とかのイメージが湧きにくいのも同じ理由です。1つの考え方や価値観にすがると考えが止まるので、避ける傾向にあるのだと思います。健康を意識した食事を取る理由も、十分に睡眠を取るのも、それは長生きするためで、なぜ長生きしたいのかと言われれば、「人生をかけて考えた結果、大きな何かを変えたいから」です。早死にしたら何かを変える時間が減りますからね。えぇ?流石に凄すぎませんかなんでも説明できる...いやいやいや待て待て落ち着きます「本当に、たここがこんな文章で説明されても良いのでしょうか?」...という疑問すらも、「考えた結果、何かが変わること」を期待して、一文で説明できる行動原理を疑っているワケですね。結論を出しちゃったら考えが止まるので。やべぇ本当に疑いの余地がない...いや本当か?自己言及的だから変なことになっているんじゃないですかね。この仮説の妥当性を確認する方法が自分について考えることなので、どんなに考えても絶対に反論できません。あと、抽象が暴走している気もします。「変える何かはなんでもOK」とか、「何かの変わる先はなんでもOK」とか、「変える手段はなんでもOK」とかです。対象範囲が広すぎて誰にでも当てはまる可能性あります。全てを言い表そうとして何も言い表せていない気もします。1つ気づきましたが、「考えないことを考えていない」ですね。「考えた結果、考えない」ことに行き着いていない時点で、考え続けることに思考停止しているのかもしれません。先ほど話した「明確な結論」が、たここの場合は「考えること」なのかもしれないです。???意味が分からなくなってきましたそれでも、めちゃくちゃ的を射た自己分析のように思えます面接官「どうしてゲーム開発を始めたのですか?」たここ「考えた結果、何かを変えたかったからです」面接官「入社後はどんなゲームを作りたいですか?」たここ「考えた結果、何かを変えられるゲームを作りたいです」面接官「最近プレイしたゲームと、そのゲームをプレイした理由を教えてください」たここ「最近プレイしたゲームは〇〇です。理由は、考えた結果、何かを変えられるゲームだったためです」まぁ間違ってはないけど、たぶん良くない気がしますたぶん良くないと思うのは、他の方々の面接でこんな応答をしている様子を見たことがない上、面接対策の本にも書いていないからです。こんな調子で面接に挑んでみたい気持ちはありますが、せっかくの機会がムダになりそうなのでやめます。たここは現実的な視点も兼ね備えていて偉いですね。とにかく、めっちゃ上の方でも話しましたが、やっぱりたここはもっと現実を生きるべきなんじゃないでしょうか。たぶん、こんなことに意識が向いているのって普通じゃない気がします。気づきましたが、現実を生きるって「考えないこと」なんだと思います。非現実に生きているたここは、考えに考えた上でこんな調子なので、きっと考えないことで現実を生きられるんだと思います。「考えるな感じろ」ってヤツです。もうかなり使い古されていて、誰が言ったのか分からないくらいに希釈してしまったこの言葉ですが、今のたここにはピッタリな教訓のように思えてきました。考えるのは楽しいことですが、同時に疲労を伴います。考えないことで世界がうまく回るなら、それはそれでハッピーになれる気がします。なんだかワクワクしてきました。まとめると、このトピックでは、「考えた結果、考えないことにした」という変化がたここに起こりました。結局、上に書いた1行の行動原理が間違ってるか間違ってないかは分からずじまいでした。でも、たここの中の何かしらが前進したように思えたのでした。 その他オフイベント以降は現実的なたここがお送りします。オフイベントでその時に感じたこととその理由を主に書いていきます。とある人材紹介会社さんの少人数なオフイベントに行ってきました。ジュースを飲みながら就活の悩みを社長さんと話す会です。こういうイベントに行く機会があまりなかったのと、普段関わらない方々と話せたので、何かと新鮮でした。その様子を下に記します。まず、他の参加者5人の自己紹介が始まったのですが、「高学歴だなぁ」ってなってました。スゴそうな方々が集まっているみたいで、そういった方々は普段何を考えていて何を話すのか気になりました。たここと同じ人間のはずなので、そんなに変わりないとは思いますが...あと、名前を話す際、「珍しい名前ですよね」とか「この漢字はこうやって覚えてください」みたいに、自分を印象付ける取り組みをしていて「それめっちゃ良いな〜!」って感心しました。さっそくたここも真似しました。自己紹介が終わり、お悩み相談会が始まりました。あらかじめ募集していた参加者の悩みがスクリーンに表示されて、人材紹介会社の社長さんが答えていきます。アドバイスの内容は正直あんまり記憶に残っていないです。理由は、下調べしていた就活の進め方と似たような返答だったからです。たここの持っている情報の正しさを確認する...という点では意味があったと思います。どちらかと言えば、社長さんと他参加者との話し合いが面白かったです。その内容を記します。ある参加者は「考えることに体力があります」と話していました。人間にデフォルトで備わってる機能だと思い込んでいたのですが、その限りではないみたいです。たここも今後はアピールポイントとして取り上げるかもしれないです。理系女子な参加者が「自分が理系なことを大切にして就活したい」と言っていた事も印象的でした。たまに自分自身を大切にする必要性を感じるので、たここも見習いたいです。ただ、大学で学んだことが仕事で直接的に役立つかと言われるとかなり怪しいと思っているので、理系であること自体のアピールは引き続き最小限にしようと思います。家電量販店でバイトをしている方が「家電量販店に就職したい」と言っていたのも驚きでした。個人の価値観やキャリアの形成におけるバイトの影響力を感じました。たここも家電量販店でバイトしていたらゲームを作っていなかったのでしょうか?なんて考えたりしました。全体的に、活動的で社交的な参加者がほとんどで、普段交わらない方々の思想と振る舞いを間近で観察できてとても良かったです。なんだか、たここまでそういう人間に近づいた気になりました。光属性を帯びたいと思っているなら、こういう方々と触れ合うことが大事なのかもしれません。そういえば、たここも就活のお悩み相談しました。お悩みの内容は以下の通りです。「これまでも価値観や考え方が変わってきたように、今後も価値観や考え方は変わっていくことが予想されます。その上で、現時点で将来を描いて、目的に向かって努力することは、どの程度将来の実現に効果的なのか?」自我の連続性やキャリア形成の確実性を疑っての質問です。具体的には、人は置かれた環境次第で何者にでもなれるのではないか?という点と、「お前、この役職やってみないか」的な、個人ではどうにもならない偶然がキャリア形成に大きく関わってくるのではないか?という2つの論点を提示しました。その返答ですが、前者は理解してもらえず、後者は「努力は必ずキャリア形成に関わる」という旨の回答でした。これは、かなり耳が痛くなりました。キャリアの成功は全て自分の努力で解決できる!という主張は、これまでの人生もこれからの人生も全ては線で繋がっていて、どんな活動にも意味を見いだせるからです。運も偶然も、全ては実力で引き寄せたという話です。しかし、回答者はバリバリの起業家なので話半分かもしれないです。「過去の成功は全てそれまでの努力によるものだ」と、バイアスがかかっている可能性あります。それでも、経歴も肩書もすごい人なので、50%くらい自分の思想に取り込みました。オフ会の話はそれくらいです。他は、一番に手を挙げてカルピスを注文したら、他の参加者もカルピスを頼み始めたことくらいです。理由を聞いたら「同調圧力を感じたから」と言っていて、たここも場の流れを作ることができるんだなぁと思いました。(なんだこのエピソード...)おしまい6月の月報は以上です。書き込みすぎて、7月の後半にさしかかってしまいました。最近、どんどん感情が平均化されていく感覚を覚えています。目の前で起こった嬉しいことも悲しいことも、数十年のスパンで捉えると一過性のものだと感じ、心が動かされなくなっています。現時点での大失敗も長い目で見れば経験現時点での大成功も長い目で見れば経験人生には絶望も幸福もなくて、薄っすらとした灰色の世界がどこまでも広がっているイメージです。救いがないと言えば救いがありませんが、救いがあると言えば救いがあります。この現象も、前述した「現実で生きていない」ことによるものなのでしょうか。就活を始めてから起こった心の動きのように思えますが、就活前もこんな調子だったように思います。オフイベントに参加するにあたって、高校生時代を思い出す機会がありました。小雨の降る帰り道、部活の成績を友人から褒められた記憶です。私は「めっちゃ嬉しい。ありがとう」と伝えたのですが、友人は「棒読みに聞こえるけど、本当に喜んでる?」と、怪訝な顔になってしまいました。「本当に喜んでるよ」と返しましたが、当時のたここは何を思っていたのでしょうか。月報は終わりです。残りは7月の月報に書きます。たここは現実を生きます。